application/pdf日本古代の文書行政の実態を知る上で極めて重要な史料と位置づけられている正倉院文書には,周知のように実に多種の古代印が押されている。本稿では,その中から,特に東大寺内の組織運営システムと密接にかかわると考えられる「東大寺印」と「造東寺印」を取り上げ,これまで主に個々の文書の接続関係や内容から検討されてきた正倉院文書に,印影の考察から,新たな分析視角を与えることを試みる。 正倉院文書中に見られる「東大寺印」は現在三種が確認できるが,そのうち,古代印と認められるものは二種である。また,同じく「造東寺印」も二種を確認したが,古代印と断定できるものは一種のみであった。このことを前提として,「東大寺印」「造東寺印」の変遷と両印の関係を示すと以下のようになる。 天平宝字5年末までに鋳造された「東大寺印」は,宝亀2年に他の寺印が官鋳で頒下されるに伴って,改鋳されることとなる。一方「造東寺印」も天平勝宝4年10月から宝亀2年9月の間は少なくとも存在していることが確認される。造東大寺司の作成する文書にはこの両印がいずれも使用されているが,造東大寺司では,寺内に伝達する文書には「造東寺印」を押印し,寺外に伝達する文書には「東大寺印」を押印するという,文書行政上の使い分けを行っていたと考えられる。 なお,天平勝宝4年以降,造東大寺司と東大寺三綱は,互いに往復する文書にそれぞれの東大寺内での所属名を冠した印を用いており,造東大寺司と三綱が同居する東大寺はその内部において,少なくとも奈良時代中葉以降は,それぞれの所属の印を用いた文書による組織運営システムを確立しつつあったことが窺われるのである。The Shōsō-In Documents (正倉院文書), classifi...